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木村隼人〈“青春”が終わっても、自分がやりたいのは音楽なんだ〉 [●INTERVIEW]

interviewed on December 14, 2012

数々のバンドを渡り歩き、現在は
ソロ・アーティストとして活動している木村隼人。
2011年は表舞台での音楽活動を休止していた彼にとって
リスタートの年となった2012年を振り返ってもらいながら、
活動再開に至った経緯やツアーについてを
語ってもらった   

[interview & text●i.akira]

アー写.jpg
木村隼人/Kimura Hayato


DARLING DARLINGが終わったときが
“青春”の終わりだったのかもしれない


  まずは2012年のライブが今日(2012年12月14日)ですべて終了したということで、お疲れ様でした。
木村 ありがとうございます。
  最初に活動休止中のことを伺いたいんですが、2011年は「SODA」(2011年8月発売のシングル)のリリースこそありましたが、木村隼人としての音楽活動はほとんどしていませんでしたよね?
木村 そうですね。実は「SODA」もずっと宙ぶらりんにしていた音源なんです。あのころって、自分が歌うことへの意欲をなくしてしまっていた時期で。こんなことを言ったら失礼かもしれないですけど、“出さないと体に毒だ”って気持ちでリリースしました。
  意欲をなくした歌に対するけじめをつけたかったということですかね?
木村 そうです。歌についても、「SODA」についても落とし前をつけたかったんですよね。だからみんなあのときは、「リリースしたのに全然ライブしないなぁ」って思っていたはずですよね。
  その前にはDARLING DARLING(木村が以前活動していたバンド。2010年活動休止)が止まってしまいましたよね。それも意欲をなくした要因のひとつですか?
木村 それもあります。バンドって、俺にとっていつまでたっても“青春”なんですよ。その言葉でしかないんです。だからDARLING DARLINGが終わったときが、“青春”の終わりだったのかもしれないですね。しかもそんな“青春”を糧に生きていた自分がいたので、終わったときに本当に真っ白になってしまって。だけど自分にできるのは音楽しかなくて、すごくジレンマを抱えていた時期でした。
  自分のなかでそうした葛藤と対峙していたから、2011年は活動を止めざるを得なかったんですね。
木村 そうですね。迷走してました。で、その答えが出たのが2012年の春だったんです。やっぱり“青春”が終わっても、自分がやりたいのは音楽なんだと。そう腹を括ったから、活動を再開しました。
  ふたたびシンガー・ソングライターとしての活動を再開しようと思ったきっかけはあるんですか?
木村 活動再開を決める前に、ちょくちょく秋田の実家へ帰ってたんですよ。そこで過ごしているうちに、いわゆる郷土愛のようなものが芽生えてきて。同時に、自分がアーティストになってから地元で歌ってないことに気づいたんです。自分が生まれ育った場所になにも返せてないなって。だからまず地元で歌いたいと思ったことが大きな要因ですね。自分の歌になにができるかはわからないけど、使命感みたいなものを感じたんです。


音楽を止めようと思っていた時期なのに
自分でも気づかないうちに曲をつくっている


  休止期間中には3.11の震災がありましたが、あの影響もありますか?
木村 影響とは違うかもしれませんけど、僕は震災が起きたとき、ほかのアーティストのようにアクションを起こす側にも自粛する側にもなれなかったんです。自分で歌うことはしなかったけど、音楽の仕事はずっといただいていた状態だったので。ただ、詞を書きながらも、そのなかで「音楽とは人にとってどういうものなんだろう」ということを考えながら過ごしていて。そして、音楽ってすごく人の支えになるものなんだと思ったんですよね。勇気をもらったり、元気をもらったりできる“魔法のツール”だなって。だからひとりでも自分の音楽を求めてくれる人がいるのであれば、歌っていきたいなって。
  たしかに音楽の持つ力はとても大きなものですよね。
木村 あと、今年は自分が30歳という節目だったんで、男としての生き方を決めたいなって思ったんです。だったら、約束を守れる人間になりたいなと。だからひとりでも約束をした人がいて、その人が待っていてくれるなら、その約束を果たしに行こうと思ったんです。
  復活を決めたときには、「the lost virgin landscapes」(活動再開後初の音源)の曲たちはすでにあったんでしょうか?
木村 そうです。それはおもしろい話で、けっきょく音楽を止めようと思っていた時期なのに、自分でも気づかないうちに曲をつくってるんですよ。提供するための曲や歌詞とは別に、ストックが生まれてるんです。無意識で作業しているなかで、内容がディープすぎてどこにも出せない曲たちが生まれていて、それがまさに「the lost virgin landscapes」の原曲となるものたちだったんです。
  葛藤があったなかでも、自然と生まれてしまった曲たちなんですね。
木村 そうです。煮こごりって言ってしまうと変かもしれませんが(笑)。
  そうやって生まれていた曲たちと改めて向きあうときはどうでした?
木村 なんていうか、掃除のような時間でしたね。それこそ簡単なボイスメモとか断片的なものばかりだったので、自分のこれからの方向性とかを考えながら、それらを形にしていったり、いらないものは排除したり。そうやって生まれたのが「the lost virgin landscapes」です。


いちばん純度の高い自分を届けるためには
ワンマンにこだわってやったほうがいいと思った


  ではライブの話になりますけど、2012年は“Weekender”というタイトルをつけたワンマン形式でのライブばかりでしたよね?
木村 そうです。先日渋谷セブンスフロアで開催した「FATHERMUSIC!! × WEEKENDER」以外は、全部ワンマンですね。
  まず“Weekender”というタイトルの由来と、そのコンセプトを聞きたいのですが。
木村 自分が次にやりたいことはなんだろうと考えたら、歌だけではなくて、空間というか、カルチャーのようなもの発信したいなと思ったんです。
  その空間が“Weekender”ということですね。
木村 タイトルは単純で、週末ってどこの世界でも楽しいものじゃないですか? でも日曜日は憂欝だったり。そういう感情の分岐点が週末な気がして。そこで週末に素敵な出来事をみんなに提供できればなと。それこそ歌だけじゃなくて、カフェをやったり、雑貨を売ったりとか、みんながいろんな形で楽しめる場所を創りたいんです。歌はあくまできっかけとして、そこからもっといろんなことが広がっていければいいなと思います。
  じゃあ、これから“Weekender”はもっと進化していきそうですね。
木村 それはいろいろ考えてますんで、期待しててください!
  ではワンマンにこだわったことにはなにか意図があるんですか?
木村 ライブのやり方っていろいろあると思うんですよ。たとえば対バンとかの場合、自分たちを知らない人へアピールできる機会だったりするじゃないですか。でもそうじゃなくて、今自分のことを知ってくれている絶対数の人たちへ呼びかけたかったんです。
  新しいファンではなく、今までのファンにこだわったと。
木村 そうですね。新規の人ではなく、自分を知っている人たちへ復活したことを知らせたかったので、それを100%で伝えるためにはワンマンがいいんじゃないかなって。ブッキングで出るイベントって、どうしても浮気心が出やすいんですよね。知らない人たちがいっぱいいるから、無意識に新しいことをしてしまったりするので。
  それはなんとなくわかりますね。意識していないようで、していまいますよね。
木村 いちばん純度の高い自分を届けるためにはワンマンにこだわってやったほうがいいと思ったんですよね。本当に何人集まってくれるかわからないけど、そこの責任も全部ひとりで背負って、届けたい人に届けようって。でもどこの場所でもたくさんの人が来てくれて、ビックリしましたね。届けにいったのに、俺が「ありがとうございます」って感謝してしまうくらいに。
  東京以外にも北海道やここ福岡などの地方でも“Weekender Trips”というツアーで足を運んでいますが、それぞれの場所にも意味があるんですか?
木村 これも単純で、活動休止中にもメッセージをたくさんいただいていたんですが、そのメッセージをくれた人たちが住んでいる場所へ行こうって決めたんですよ。「来てください!」って言葉をバカ正直に真に受けて、旅しましたね。北海道なんて、バンドでも一度も行ったことがなかったのに、熱烈な歓迎ですごくビックリしました。
  行ったこともない土地にファンがいるというのは、変な感じですよね。
木村 我ながら不思議でしかたなかったですね。「なんで俺なんかを知ってるんだろう?」って。実は北海道にAoというバンドがいて、そこのボーカルの安田貴広くんがアコースティック・ライブで僕の「remember me」という曲をずっと歌ってくれていたんです。それが縁となって、僕を北海道に呼ぼうって動きがあったみたいで。だから「来てくれてありがとう」ってすごく言われたり、その後も、北海道からわざわざ東京や大阪のライブへ駆けつけてくれる人もいたりして。
  それもまた音楽の魔法ですよね。
木村 そうですね。だから東京だけでライブをやるんじゃなくて、これからは地方にもちゃんと足を運んでいこうと思っています。ひとりでギター抱えて飛び出せるなら、多少赤字が出る覚悟でも、動けるなら動こうって。なにより、ひとりだとバンドよりはるかにフットワーク軽く動けることもわかりましたからね(笑)。


形はどうあれ
自分はロック・スターだと言い続けたい


  今まではバンドとしての活動がメインでしたが、これからはソロ・アーティスト“木村隼人”をメインに活動していくのでしょうか?
木村 もちろんバンドへの憧れはあります。いつかはやりたいとも思うし。だけど、バンド時代ってソロ活動の良さを知らなかったという部分もあるんですよね。
  ソロは以前もやっていましたが、あくまでバンド活動ありきでしたよね。
木村 そうですね。たとえばバンドのときの俺ってMCはほとんどなかったりしますよね。それは俺がしゃべることはバンド全体が発言することだと思ってたから、どうしても口数少なくなってしまってたんですよ。でもソロは裸一貫だから、どうあがいても俺でしかないし、よくも悪くも俺という人間のすべてを出す場所だと今は思うから、フラットにしゃべったりできるんですよね。
  たしかに今日のライブでも自然にMCをされていましたよね。バンド時代を知る人間としては、少し驚きでした。
木村 だと思います(笑)。昔はそれに立ち向かう度量もなかったんだと思います。だけど今回そういう意識もなく勢いだけで活動再開してみて、こんなにソロが心地よいものだと初めて知りましたね。もちろん会場にいるみなさんが僕の歌を知ってくれていることもあるのかもしれませんが、ひとりの表現者として後ろ盾がなく戦うことができる清々しさを知ったんです。
  ではこれからは“木村隼人”を極めていくことになりそうですね。
木村 バンド・スタイルでやることはあるかもしれないけど、今は“木村隼人”としてやっていきたいですね。なにかしら名前を掲げることはあるかもしれないけど、それはバンドではなく、僕のソロ・プロジェクトになると思います。
  今日の(12月14日 福岡Bar Bassicでの)ライブを観てて感じたのは、曲に対する愛情が強くなっているなと思ったんです。昔のバンド時代の曲も歌っていましたが、以前よりとても曲と寄り添っているように思いました。
木村 それはありますね。もちろんバンドのときも深い愛着は感じて演奏してるんですけど、バンドは少し突き放したところで生まれるミラクルだったりするじゃないですか。たとえばみんなで一斉にビリヤードの球を打って、ぶつかりあうような感じで。そうじゃなくて、ひとつの球を追いかけていく楽しさや快感がソロにはあるので、そういう愛情につながっているかもしれませんね。
  でも同時に、ひとりで演奏しているのに、ないはずのドラムの音やベースの音が聴こえてきたりもしたんです。
木村 それはうれしいですね。やっぱりそういう音が僕自身のなかでも鳴っているんですよね。ドラムやベースがあったうえでの演奏を意識したり、崩したりしながら歌っているんで、そう感じてもらえるのはうれしいです。
  そこはやっぱり弾き語りという形ではあれ、ロック・ミュージシャンだなって思いました。
木村 そこはこだわっていたいですね。形はどうあれ、自分はロック・スターだと言い続けたいです。弾き語りのライブを観てそういうことを感じる人は少ないかもしれないけど、根底にあるロックへの想いは、矛盾しようが言い続けたいですね。


もっと強いメッセージを歌うことが
弾き語りアーティストとしてのプライドだと思う


  たとえばabel and cain(以下アベル。木村が以前在籍していたバンド。2008年活動休止)のときって、かなりディープな世界観だったじゃないですか。でもとても木村隼人らしいロック・バンドでしたよね。
木村 そうですね、喧嘩売ってるような感じでしたね(笑)。でも僕は昔からアベルがやりたかったんです。いろんなバンドをやってきましたけど、いちばんやりたかったのはアベルですね。
  とくに僕は「聖者の行進」という曲に衝撃を受けましたね。初めて聴いたときから、ずっと頭のなかでぐるぐる回ってるんですよ。「なんだコレは?!」って。
木村 あれは我ながらすごい曲ですよね(笑)。アベルのいちばん最後につくった曲なんです。今だから言うと、アベルの答えはあそこにあるんですよ。集大成というか、あの曲を書けたことによって、アベルでやりたかったことはすべてできたような気がするんです。もちろん続けていたらもっとすごいものが生まれたかもしれないけど。あの曲はアベルの最高の曲だし、自分でもたまに聴きますよね。でも重いから、自分の曲なのに反芻してしまうというか。あと、今回のツアー会場限定で販売した「宛名をなくした手紙たち」に収録されている「SO TIRED」なんかもあの曲の延長線上にあるもので。だからあそこが俺の真骨頂かもしれませんね。
  痛々しすぎるくらいの赤裸々さですよね。でも今のライブでは、どちらかというとああいう殺伐としたものではなく、ポジティブな空気が溢れてますよね。
木村 そうですね。そこは自分が音楽活動を再開したことを伝えにいっているので、あえてそうしていた部分もありますね。でも「SO TIRED」や「聖者の行進」こそ、僕が本当にやりたいことだったりします。
  もちろん僕のようにああいうテイストの曲が好きな人間もいれば、引いてしまうような人もいると思うんですよ。だからソロで表現するのは難しいのかなとも思うんです。
木村 たしかにエグいですからね(苦笑)。でもそこに反応してくれるのはとても嬉しいです。俺って、本当はあんな形で世に出れたらいいなって思ってたんです。あれだけガツガツしたスタイルで自由にものが言えるアーティストになれたらなって。それは昔からずっと変わらない。だからもし作詞の仕事がきて、「自由に書いて」と言われたらああいうことを書いてしまうんですよ。もちろん「ダメだ!」って言われますけど(笑)。
  ポップ・アーティストが歌うにはちょっと重すぎますよね(笑)。でもああいう曲の歌詞は、とても早く書いているんだろうなと感じます。
木村「聖者の行進」はかなり早かったですね。歌詞は一気に書いたんですけど、編曲に時間がかかっちゃって、あれでも相当削ったほうですね。
  今ライブで歌っているような曲を木村隼人の“フラット”だとすれば、「聖者の行進」なんかは木村隼人の“ナチュラル”なんだと思います。
木村 そうです、そうです。本当にそう。あくまで目指すところはあそこで。それは今やっている曲たちが上とか下とかいう意味ではなくて、多くの人が照準を合わせやすい曲が多いだけで。今やっている曲も俺の本当だけど、いちばんギラつくのはああいう路線だよって。そこが俺のロックな部分かもしれないですね。
  現実を思いきり叩きつける感じですね。
木村 そうです。現代社会に警鐘を鳴らすとか、そんな気持ちはさらさらないけど、本当にありのままに想ったことを歌うよって。自分でもああいう曲を歌いながらどこかで「嘘ついてんじゃねえよ」って思ったりもするし、人のライブ観ててあまりにもきれいごとばかり言ってると嫌になるんですよね。だからもっと強いメッセージを歌うことが弾き語りアーティストとしてのプライドだと思うんです。自分は今そういう場所に立てていることがうれしいですね。だから許されるならば、アルバムのなかに1曲でもあんな曲を入れていきたいですね。


2012年を起動の年だとすれば
2013年は躍動の年にしたい


  アルバムという話が出ると期待してしまいますが、2013年の展望はあるんでしょうか?
木村 もちろんアルバムをつくりますよ。最近ライブで歌っている「ヘイマスターワンモアプリーズ」とかも入れようかなと思ってます。
  あの曲も今までにないスタイルですよね。
木村 ちょっと年相応に、アダルトなものを歌いたかったんですよ。ああいうことって実はあんまり歌っている人って少ないんですよ。本当に酔ってる人の気持ちというか、「どうしようもねえから、呑みに行きてえんだよ」って思いを。たとえば河島英五の「酒と泪と男と女」なんてすばらしいじゃないですか。
  とてもシンプルな本音ですよね。
木村 あと最近好きなのは上田正樹の「悲しい色やね」とか。あんなちょっとアダルトな香りのする曲って最近ないなって思うんですよ。でもすごくグッとくるじゃないですか。そういうのを2013年はやってみようかなって思って。
  当たり前なメッセージだけど、誰も気に留めていないところかもしれませんよね。
木村 そうそう、みんな好きなくせに。だからあんな匂いのする作品にしたいですね。それを春までにはつくって、リリースして、全国ツアーしたいですね。今出している「the lost virgin landscapes」はあいさつ代わりだったんで、本当に本当の木村隼人第2章というか、新章というのは、2012年で消化したものを使ってつくりたいんです。今まではプロローグでしかなくて、ここからまた始まるんだということをアピールしたいですね。
  2012年は再会の約束を果たすためで、このツアーの先に本当のスタートがあるんですね。
木村 そうです。“禊を果たした”って感じですね。2012年を起動の年だとすれば、2013年は躍動の年にしたいです。
  ファンの皆さんはさらに期待してよさそうですね。
木村 いやらしい言い方かもしれないですけど、今本当にファンの皆さんが大事なんですよね。
  それはtwitterでのやり取りを見てても感じました。そしてきっとこちらから見えないところでも、たくさんのメッセージが届いているんだろうなって。
木村 正直忙しくてリアクションできないこともあるので申し訳ないんですけどね。でもライブまで足を運んでくれている人たちがいることがなによりも大事で。だからその人たちになにを返せるのかを考えることもアーティストとして大切な仕事だと思うんです。儲けが出なくても、もはや売れようとも思ってないんで、とにかく良いものを届けて、それがみんなの幸せにつながるのであれば、なんでもやりたいです。
  では最後にファンの皆様へメッセージをお願いします。
木村 2012年はありがとうございました! 2013年はすごくいい作品をつくります。次に出すものが、木村隼人の代表作になると思いますので、期待していてください! そしてまたライブ会場で会いましょう!

LIVE SCHEDULE
2013.2.23(土)東京/中目黒OOPS!

Facebookhttps://www.facebook.com/hayato.kimura.984
Twitterhttps://twitter.com/hayatokimura

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テンションパーマ「フォーク生まれロック育ち」 [●INTERVIEW]

東京新宿の地下室で、
日々命の音を燃やしているバンドがいる。

“テンションパーマ”。

日本のほとんどの人が知らない無名のバンドだが、
ようやく彼らの歌声が全国に届くときがきた。
まだまだ未完成な彼らだが、その命の音を、その声を聴いてほしい。

テンションパーマVo&G.遠藤亮介、
単独インタビュー。

[text●n.misaki] 

tenpa_profile_big.jpg
遠藤亮介 Vo&G./吉田崇大 B. /増田拓朗 Ds.

世の中にめっちゃ影響を与えてやろうと思っています

――5月30日にファースト・ミニ・アルバムを発売しますが、今の正直な気持ちを教えてください。
遠藤 今まで、ライブ会場やH.P.販売のみのデモ音源でやっていたので、ようやく「ちゃんとしたものを作らなきゃいけない」と気が引き締まった感じがしますね。このCDで世の中にめっちゃ影響を与えてやろうと思っています。
――タイトルの『フォーク生まれロック育ち』は、どういうきっかけで決まりましたか?
遠藤 いやぁ、ほかにも候補はあったんですよ。
――たとえば?
遠藤『昭和生まれ平成育ち』とか、「昭和最後の●●」とか(笑)。でも、自分のバックボーンを入れたかったというのがあって。どんな人たちなんかっていうのを匂わす感じにしたかった。まず、キャッチフレーズとして『フォーク生まれロック育ち』という言葉が先に決まったときに、「あっ、これアルバムのタイトルにしよう」と思いました。
――すごくこのひと言でテンションパーマというバンドを表わしているなと感じたのですが、遠藤さんは昔からフォークもロックも好きでしたか?
遠藤 そうですね。というか昔からフォークが好きで。長淵剛とか、ネオ・フォークといわれるゆずとか19も好きだったし。でもそれと平行してブルーハーツがめっちゃ好きで。「ブルーハーツが好き、フォークも好き」ってなったときに、青春パンクも好きってなったのかな。
――テンションパーマの曲を聴いているとただのロック・バンド、青春パンク・バンドというよりは、フォークっぽさを残しつつちゃんとバンド・サウンドとしてアレンジされていて、それが遠藤さんの声質とうまく絡み合っているなという印象がするのですが。
遠藤 それは嬉しいですね。バンドに曲を持っていくとき、僕が弾き語りで持っていくので、それでフォークっぽさっていう部分が出ているのかもしれませんね。
――たとえばメンバーから「ここは微妙だよ」という意見が出た場合は?
遠藤 怒る(笑)。
――えっ、怒る? 直すのではなく?
遠藤 うん、怒る(笑)。いや、でもメンバーから言われたら基本的に合わせるかな。僕が弾き語りで持っていくときって、ある程度完成しきっている状態で持っていくのね。でも、それに対してよっし(B.吉田)とか拓朗(Ds.増田)がいろいろ言って完成したのがテンションパーマだなと思いますね。

ろくでもない世界だけど良いところいっぱいあるな

――なるほど。実は先日のテンションパーマのライブ後に、来ていたお客さんやライブ・ハウスのスタッフさんに「最近のテンションパーマでどの曲が好きですか?」というアンケートをしたんですね。
遠藤 えっ、ホンマに?
――ホンマに(笑)。それで、返ってきた答えがみんなバラバラで。たぶん、それって思い浮かべる情景とか抱く感情とか、聴く人によってツボが違うんだなと感じて。予想では偏るかなと思っていたのですが、ほぼ均等にバラけて。
遠藤 僕も偏るかと想像してた。
――でも、この人にとってはこの曲が好きっていうのがなんとなくリンクして。そう考えると、ライブ・ハウス音楽っていうのはやっぱりアンダーグラウンドの世界だから、一般受けしないのかな? と思いがちだけど、そこがバラけるということは今回のCDが一般層にも受け入れられるのかなという気がしました。
遠藤 わぁ、それは嬉しいな。めっちゃ嬉しいです。
――ちなみに遠藤さんのなかで好きな曲は?
遠藤 僕は「ワンダフルワールド」が好き(笑)。
――ではその話を(笑)。先ほどのアンケートで好きな曲がバラけたと言いましたが、そのなかでもこの「ワンダフルワールド」がやはりいちばん多かったのですが、この曲ができたきっかけは?
遠藤 まず、「ワンダフルワールド」の前に「ろくでもない」を先に作って。「ろくでもない」は、世の中の矛盾とかを歌いたくて歌詞にして。「ろくでもない」は“僕らはしっかりした人間じゃないけど、世の中も矛盾しているから胸を張っていいんだよ”というふうに歌っていて。その後に「ワンダフルワールド」を作ったから、逆にめっちゃ良いところ歌いたかった。“ろくでもない世界だけど良いところいっぱいあるな”っていう部分がこの曲になったのかな。
――でも、個人的には「なんで“ワンダフルワールド”という言葉なんだろう?」って思って。基本的にテンションパーマは英単語を使わない印象が強く、だから今までの傾向からすれば“素晴らしい世界”とか日本語の曲名をつけるかなって思いましたが。
遠藤 あぁ、なるほどね。
――そこで、なぜ「ワンダフルワールド」という曲名をつけたのですか?
遠藤 んー、でもそこはあえて日本語じゃなくて“ワンダフルワールド”って言いたかった。“ベイベー”とかも言いたい(笑)。やっぱり4年もやってきた延長線上でいけば“素晴らしい世界”なんだけど、「ワンダフルワールド」は新しいことをしようと思ったのもあって。今まで誰かの心情とか誰かを勇気づけようとか、背中を押してあげようと思う曲が多くて。でもこの曲で、今の自分のことをめっちゃ歌おうと思って。
――たしかに今の遠藤さんの想いや葛藤している部分、前向きな気持ちが「ワンダフルワールド」と「ろくでもない」で表わしているなと感じますね。
遠藤 それを感じていただけているなら素晴らしいアルバムになっていますね(笑)。

もっと素直に自分自身を歌ってもいい

――また、この「ワンダフルワールド」で気になったのが曲順でして。ライブでは最後のシメに持ってくることが多いですが、今回のアルバムでは何故1曲目に?
遠藤 やっぱり、どうしても僕らは“青春パンク”というふうにカテゴライズされるんです。でも、「そうじゃないんだぞ! こんなのもできるんだぞ!」というのをまず最初に言いたかった。青春パンクでもいいんだけどね、なんか僕の才能を見せつけたかった(笑)。
――みんなと同じじゃないんだぞ! という部分を?
遠藤 そうそう、違いを見せたかった。型にはまりたくなかった。やっぱりアルバム自体が新しいことにチャレンジしているし、現在進行形のものをやりたくて。だから今、いちばん新しくて、今のテンションパーマがやりたいことをやった「ワンダフルワールド」を1曲目にしました。
――そうすると、じゃあなぜ2曲目に「ろくでもない」を持ってきたのだろう? という疑問が湧くんですね。“この世界はこんなにも素晴らしいんだよ”と歌っている「ワンダフルワールド」で始まったのに、2曲目で“世の中はろくでもない”と歌っている「ろくでもない」がきてしまうのは・・・って思うのですが。
遠藤 それはすごく悩んだ。作った経緯からしても「ろくでもない」を先にしたほうがいいのかなとも思いました。でも、いちばん伝えたい想いっていうのが「ワンダフルワールド」だったから。だからやっぱり1曲目かなって。
――なるほど。ではこの「ろくでもない」ですが、今までの楽曲はどちらかというと柔らかく温かみのある歌詞が印象的でしたが、この曲は今までのテンションパーマのイメージとは違いますね。たとえば、世界に対して反骨心をむき出しにしている歌詞や力強いテンポなど、どうしてですか?
遠藤 それは、年齢も26歳になって可愛いだけじゃいけないと思うようになったからかな。可愛いだけになりたくなくて。年齢を重ねるごとにかっこつけようとか、きれいに見せようとしていたけど、もっと素直に自分自身を歌ってもいいのかなって。
――そうですね、人間はそんなきれいな一面だけじゃないですからね。
遠藤 半年後、嫌いになっているかもしれないけど(苦笑)。
――でも変わらない人間はいないから。半年後、1年後、10年後、何をしているかわからないけど、この2曲が今のテンションパーマ、今の遠藤亮介を表わしているのかもしれませんね。
遠藤 また1ヵ月後、頑張れ!って歌っているかもしれないけど、でもその頑張れ!も今とまたちょっと違う意味になっていると思う、かな。

今の決意が詰まった曲

――なるほど。では今回のアルバムの中で、いちばん“青春”を感じるのが「美しき無垢」だと思うのですが、この曲は阿波銀行のCMソングに応募するのがきっかけでできたと聞きましたが。
遠藤 そうです。僕は徳島出身なんですが、この阿波銀行のCMソングを審査するのがFM徳島というラジオ局で、そのラジオ局の人に「送ってみれば?」って声かけられて。一応、最終審査まで残ったんですが、落ちたっていう(苦笑)。
――正直、自分たちの曲と選ばれた曲、どちらがいいと思います?
遠藤 そりゃ、僕らの曲でしょ(笑)。でも、オジサンたち的には選ばれた曲が好きかなって。やっぱり銀行だからね、ロックしてもしかたないっしょ(笑)。
――でも私は、銀行マンのイメージにすごく合うなって思いましたけどね。この曲は何をイメージして書いたんですか?
遠藤 若い銀行マンって自分らと同じ世代かなって思って。だから徳島にいたときのことや拓朗やよっしと出会ったときの思い出を歌詞にして。僕、徳島にいたころにサッカーやっていて、県で優勝するようなところに勝ったことがあったんです。だから“あの時 僕らヒーローだった”という歌詞が生まれたし。“何になろうとしたんじゃない”という部分は、町田の和民で拓朗とよっしとバンド組んだときのことだったり。そういう思い出や気持ちを忘れないでいこうぜっていう曲ですね。
――アルバム最後の7曲目に入っている「どこまでも」は、バンドとしての“未来への決意”に繋がっているのかなと感じるのですが、この曲は原曲があるんですよね?
遠藤 もともとは「日本海に咲く花」という曲で、富山の独立リーグの野球選手に作った歌なんです。
――そのとき作った心境と今の気持ちは同じ?
遠藤 いや、ぜんぜん違う。まったく別の曲だと今は思っている。原曲を作ったときは、その選手を応援しようという想いだけで、「その人がグッときて燃えるような曲を」っていう気持ちで。独立リーグの選手だから一度はプロになれなかった人で、“いつまでも いつまでも 挑み続けること”という歌詞があるんだけど、それでも野球を続ける人に向かって歌ったフレーズなんです。
――でも、今は自分のバンドに置き換えられますよね。
遠藤 そう、今は自分らに歌っているかな。
――これは原曲そのままではなく、アレンジし直したんですか?
遠藤 うん、やっぱりフレーズとかがその選手に向けて歌っていたし、歌詞ももっと富山のことを歌っていたから変えて。この曲を作り変えるとなったときがちょうどアルバムの発売が決まったころで、だから今の決意が詰まった曲になったのかな。

本当のことは初めて言ったかもしれない

――昔からあった曲でいえば「グラタン」もそうですが、この曲は何年前からある曲ですか?
遠藤 この曲は、僕が前のバンドやっていたときの最後の歌で。結成当時、曲もなかったから「1曲だけ前のバンドから持ってきてもいいかな?」って聞いて。それで1曲だけ持ってきたのがこの「グラタン」なんですよ。でもそのままじゃあれだからテンポを速くして、今回のアルバム用に曲の長さも短くして。
――曲が長いときの「グラタン」も知っていますが、かなりザクっと切りましたよね。
遠藤 ザクっとね(笑)。逆に切った部分が好きだったっていう人もいるんだけどね。でも切ったことによって疾走感は出たかなとは思いますね。
――「グラタン」は失恋の歌ですが、ここだけの話、実話ですか?
遠藤 うん、実話。前のバンドのときに僕の親友の失恋話を聞いて作った曲で。歌詞に出てくるリンゴジュースとか親友の彼女が好きで、僕が遊びに行ったときに彼女が作っていたのがグラタンで。
――うわぁ、それ誰も知らないですよね?
遠藤 誰も知らないし、本当のことは初めて言ったかもしれない(笑)。
――でもこの曲は失恋を歌っているけれど、やっぱり“送り出す”っていう気持ちがヒシヒシと感じるので、ただ悲しい歌なわけじゃないですよね。
遠藤 そうそう、速さも決して悲しいテンポではないしね。前向きな失恋っていうのかな(笑)。昔は、「グラタン」のように「このテンポでこれを歌うことがテンションパーマのバラードじゃ!」って思っていて。バラードの定義ってあるけど、僕らのバラードってこれでいいんじゃないかな。
――こうやっていろいろ話を聞いていると、このアルバムでテンションパーマの歴史っていうのが感じられる1枚になっているなと思うのですが。
遠藤 うん、今のすべてが詰まっている感じ。それを込めたかったから『フォーク生まれロック育ち』なのかな。

僕自身を発揮する場所

――今後どうなりたいと思っていますか?
遠藤 どんだけ売れても、大きさが違うだけでライブはやり続けたい。たとえ武道館でやるようになってもライブはやり続けたいね。やっぱりライブがそのときの100パーセントの自分を出せる場所で、だから「今日、やりすぎたなぁ」と思っても気持ちよかったっていうのもあるし、「やってやったぜ!」っていうようなのも好きだし。
――7月4日に徳島、そして7月10日には新宿でワンマン・ライブが決定していますが、なぜ徳島でもワンマンをやろうと?
遠藤 6月にツアーを回るんだけど、ツアー・ファイナルって「ただいま」って帰ってくる気持ちなるじゃない。僕だけ徳島出身だけど、やっぱり徳島にも帰りたいなって。
――徳島への想いは捨てられない?
遠藤 そうだね。ちゃんとやっているよって見せたいっていう気持ちもあるし。うん、両方帰りたい。両方「ただいま」って。
――故郷がふたつある感じ?
遠藤 そうそう。よっしも拓朗も徳島出身じゃないけど、あいつらも徳島大好きだからね。
――なるほど。では最後に、遠藤さんにとって音楽とはなんですか?
遠藤 マヂか(笑)。んー、難しいけど僕自身を発揮する場所かな。僕の存在意義的な。それがなかったらべつに僕が生きていることをみんな知らないし。世の中との関わりだったり、生きている意味がわかるのは音楽があって、バンドやライブがあるからかな。

テンションパーマOFFICIAL WEB SITE→ http://tenpa108.info/

default.jpg
「フォーク生まれロック育ち」
01.ワンダフルワールド 
02.ろくでもない  
03.最後の声  
04.美しき無垢  
05.グラタン  
06.未完成の日々  
07.どこまでも  
2010年5月30日発売  
ライブ会場・全国disk union各店・徳島県附家書店、国府、松茂店・限定  
1,260円/ロックの向こう側レコード/RM-6901


PICK UP LIVE 
■5月30日 
テンションパーマ企画「新宿王国2010」 
~テンションパーマ1stミニアルバムレコ発&Marble 6th ANNIVERSARY FINAL~ 
at 新宿Marble&Marz&Motion 
前売/当日:2000/2500[2D別] OP/ST:14:00/14:30 

■テンションパーマ、初のワンマンライブ決定! 
ツアー・セミファイナル 7月4日 徳島GRINDE HOUSE 
ツアー・ファイナル    7月10日 新宿Marble



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